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スティル・ライフ

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スティル・ライフ

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先月24日は歴史的寒波の襲来で、日本中に雪が降った。奄美で雪が降るのはなんと115年ぶりとやら。ぼくの街にも一日中雪が降りしきり、終日、布団の中で河出書房新社日本文学全集第17巻(堀辰雄・福永武彦・中村真一郎)を読んで過ごした。
同じ一つのドア 雪の日に思い出す、いくつかの文章がある。
 街灯のまわりだけ目に見える雪は、羽根のようにロマンティックに二人の肩に降りかかった。「なかなかよく降りますね」と言った。
「そう」
 雪のせいで、青の信号が水のように青く輝いている角で、信号に従って三丁目の通りを横断しようとすると、あとについてくるのをレベッカがためらうもので、「あなたが住んでいるのはこちら側じゃなかったかしら」と聞いた。
 東京で学生生活を送っていた頃に読んだ、ジョン・アップダイク「グリニッジビレッジに雪が降る」の一場面。
 1984年の東京は、よく雪が降った。当時、まだ創作の真似事をしていたぼくは、雪の夜に交差点を歩く度に、この「街灯のまわりだけ目に見える雪」、「雪のせいで、青の信号が水のように青く輝いている角」というフレーズを反芻し、このような見事なフレーズが既に書かれてしまっていることに、ちょっと悔しい思いを抱いたりもしたのだった。
 雪を描くのが上手な作家というのがいて、アップダイクはその一人だ。いますぐに引用できないのだけれど、「ケンタウロス」にも印象的な場面があ數學M1ったように思う。
 わりと最近読んだ作家でいえば、オルハン・パムクがいる。パムクには、雪に閉ざされた国境の街を描いた「雪」という長篇もあるが、ここでは「新しい人生」から引いておこう。
新しい人生………ぼくは雪の粒を眺めていた。ふわふわと揺れながら下へ落ちていったと思ったら、まるでどうしていいかわからなくなったように、ある一点で自分に似た別の粒を追っている。そうして移ろっているうちに、あるかないかわからないくらいの風が吹いて、彼らを連れて行ってしまった。中には、空白の中でゆらりとしてからピクリともせずに空中で静止し、突然なにかをあきらめたように、考えを変えたような態度でもと来た方へ、ゆっくりゆっくり空に向かって昇り始める粒もあった。多くの雪の粒が、泥や、公園、アスファルト、木の枝にたどり着かずに、もと来た方へ、空に戻って行くのを見た。誰が知っていただろう、誰がきづいていただろう、そんなことに。
 しかし、これまでに最も鮮やかな印象を受けた雪の描写といえば、池澤夏樹の「スティル・ライフ」にとどめをさす。
 音もなく限りなく降ってくる雪をみているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。
 雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、なめらかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全部が、膨大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。
 どれだけの距離を昇ればどんなところに行き着くのか、雪が空気中にあふれているかぎり昇り続けられるのか、軽い雪の一片ずつに世界を静かに引き上げる機能があるのか、半ば岩になったぼくにはわからなかった。ただ、ゆっくりと、ひたひたと、世界は昇っていった。海は少しでも昇ればそれだけ多くの雪片を溶かし込めると信じて、上へ上へと背伸びをしていた。
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